2008年03月21日

雨に踊る百日紅

 雨が降っている。関内駅の方からスタジアムのある横浜公園に入る。土の地面には、ところどころに水がたまり、小さな川をつくっている。見上げると緑陰の手前を、白い雨がカーテンを引くように風に流れていく。

sarusuberi-1.JPG 公園を日本大通りの方に出る前、右側に少しおもしろい形をした木が生えている。人の肌に似た滑らかな樹皮をして、手をくねらせて踊るように立っている。その枝のうねりは、タイかバリあたりの舞踏を思わせる。

 花を確認していないので確かなことはいえないが、この木はおそらくサルスベリ。少し前に見かけてから、ここへ来るたびに気にするようになった木である。

 サルスベリは、夏に長い期間にわたって印象的な赤い花を咲かせる(ピンク色や白い花のものもある)。それで「百日紅」という漢字が当てられる。

sarusuberi-2.JPG 晴れた日に見たときと違って、今は雨にぬれて、つややかに照り輝いている。人肌に似てつるりとした木肌を持つ木は、雨にぬれると独特の存在感を放つ。バックにある背の高い木々の影の前で、ひときわ浮き立っている。

 雨の日に、屋久島の森を歩いたときにも、ヒメシャラの木に出会うたびにどきりとした。ヒメシャラもまたサルスベリのように滑らかな肌をしている。薄暗い森の中にあって、雨がその木肌を伝って光ると、それは何か危ういほどもろい柔肌のように見える。しかし、近づいてよく見れば、それは力強い筋肉のようにも見えてくる。

 雨は都市の生活にとって、やっかいなものだ。しかし、ぬれた後に服や靴がどうなるとか、寒くなるから着替えねばとか、先々の煩わしいことを考えるのをやめてしまえば、その景色は美しい。

 佐藤秀明さんの写真集に、雨の風景を集めた『雨のくに』(ピエ・ブックス刊)というものがある。見る者の内に染みてくるような光景のなかには、深い山を煙らせる雨もあるのだが、近所に買い物に出たときにふと見かけるような日常の景色も含まれている。心を留めれば、こんなにも美しい風景が身近にあるのだ、と気づかされる。

 雨が木々の存在を光らせるのは、木々が水を欲する生命だということもあると思う。自らの行動で水にありつける動物と違い、動かぬ木々はただ雨を待つ。だからしばらくぶりの降雨は、木々の生命感をも際立たせるのではないだろうか。

 都市における雨は、木々だけでなく人工物さえも輝かせる力がある。これは見る側のとらえ方にもよるのだが、そのように見える(感じられる)のは、おそらく樹木同様われわれ人間が水を求める生命であることにも原因があるだろう。

 ただもうひとつ思うのは、雨が自然のものであるということ。いくら人間ががんばって無機質な人工物を造り上げても、有機的な自然に属する雨が降れば、ほとんどのものが水に覆われる。すべてのものが自然に包まれる。それが雨の風景を美しいと感じさせるゆえんではないだろうか。

 雨の中で、百日紅がぬれている。薄曇りの空の下、薄紅色の肌に光を集めて。


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2008年03月03日

沿線の蜜柑

 冬の寒い朝、横浜を出た列車は東京へ向かう。車窓には、曇天による鈍色の景色が流れていく。

 満員電車の北側のドアに立ち、車窓から外を眺めると、石組み壁の灰色が視界を遮っている。やがて家々が連なりだすが、そこは通りの裏手であり、こちらに見えているのは家屋の裏である。そんなくぐもった、覇気のない風景が流れていくのを、満員電車の人々に押されながらただぼんやりと眺めていた。

 気持ちが天気に左右されるということはしばしばある。晴れやかに澄みきった青空には、こちらの心まで風通しよくさせる力がある。逆に雨を伴わない薄暗い曇天には、どんよりとした気持ちに引き込む負の力がある。いずれも自分の気持ちひとつで印象は変わるのだが、その気持ちが弱くなっているときには、引き込まれる力が強くなる。

 だからこのときも、曇天が支配する空気の重さに引っぱられそうになりながら、ぎりぎりのところで思いとどまる、といったことを繰り返していた。そのとき、車窓の視界を幾筋ものオレンジ色の光が横切った。

 みかんだ。家屋の裏にある常緑の果樹。そこに大きな柑橘系の実が複数なっている。それが視界を流星のように走ったのだ。

 ああ、そうだったな、と思い出す。このあたりには、柑橘系の果樹がある家が何軒かあったのだった。かつて通勤でよくこの路線を使っていたのだが、そのころから気になる木々だった。特に大きい木ではなく、たくさん植えられているわけでもない。ただ冬のさむざむしい景色の中に、暖かい明るさを持つ果実が美しかった。数年ぶりにこの場所を列車で通り、それを思い出し、無表情の人々に囲まれる中、にわかに感動がわき起こった。

 芥川竜之介の短編に、「蜜柑」という作品がある。それを読み終えたときと似たような快さだった。モノクロ写真の印画紙上に、鮮やかな色のインクをこぼしたかのような輝き。

 よくぞ家の裏手、それも線路側にオレンジ色の美しい実がなる木を植えてくれたものだ。そしてそれをよく切り倒さずに、長いこと残していてくれたものだ。ぼくの感動の中には、そういったものも含まれていた。考えてみれば家の裏手であるその場所は、南に面しているため、植物から見たら表である。陽光を遮るものはなく、果樹にとっては好適な位置に植えられたことになる。

 都市における緑は貴重だが、それは公園や街路樹など公の手で管理され残されたものだけではない。個人が庭で育てる木々もまた、灰色の街を潤す緑として存在している。Google マップで街の空撮写真を眺めてみても、庭の木々のわずかな緑色が街全体の印象づくりに参加しているのがわかる。庭に木を植えるということは、本来個人的な欲求によるものなのだろうけれど、街そのものの形や空気そのものをもつくりあげるひとつのムーブメントなのだともいえるのである。
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2008年01月27日

開港広場 親しみのイチョウ

 12月2日の夕刻、関内の駅を降りてスタジアムのある横浜公園を抜けると、そこには黄金色に輝く世界が開かれていた。

 公園を抜けた日本大通りには、イチョウの並木があり、ライトアップされた黄色い葉は、たそがれていく大気とは逆に、地面から光を吹き上がらせるかのように輝いている。行き交う人々はため息が聞こえてきそうなほどに、立ち止まり、見上げ、わずかに口をひらく。そして、その光渦巻く景色の中に自分が溶けてしまいそうになる寸前に、われに返って歩き出す。

 ぼくがめざしていたのは、この道をもう少し海へと進んだ場所。Au Jardin de Perryという横浜開港資料館の敷地内に建つ喫茶室だ。喫茶室には資料館を通らずに裏側から入ることができる。むしろ資料館の勝手口であるそちらが、喫茶室の玄関となっている。その入口は噴水のある開港広場に面している。

 開港広場に入り喫茶室の前まで来ると、1本のイチョウが前に立ちはだかっていた。全体的に均整がとれていて、きれいな形をしている。

 この木はどのくらい前からここにいるのだろう。あとで資料を探してみたが、どうも見つからない。開港資料館敷地内にある玉楠の木の由来は載っていても、このイチョウのほうは出てこない。横浜市市民局市民活動部広報課が出している『AN AERIAL VIEW YOKOHAMA』という本には、1982〜83年の撮影として開港広場の空撮写真が出ている。それにはこのイチョウが写っているから、少なくとも25年はこの地で生きていることになる。木に抱きついてみると、後ろまで手が届かない。幹回りは2メートルを軽く超えているだろう。樹齢25年ということはない。

 イチョウは年をとると、鎌倉・鶴岡八幡宮の隠れイチョウのように、乳という気根のようなものを垂らすものがある。しかし、この木にはない。幹回りはすっきりとしている。落ちている葉も小さい。横幅は5センチほどしかない。日本大通りのものに比べると3分の2にも満たない。このあたりが天神の森と呼ばれた開港のころにあったとまでははいえないようにも思う。

 しかし美しい。心ひかれる。人間同様、雌雄のいずれかに分かれるイチョウの固体が、ひとりで孤独に立っている。並木がつくり出すめくるめく黄金の宇宙も美しいが、ひとりで立つこの木も、それとは異なる美しさと親しみやすさを持つ。

 親しみやすさ――どうもそれがこの木の魅力となっているようで、あたりが暮れていく間に、何人もの人が携帯電話のカメラで撮影しているのを見かけた。連れの人に撮影してもらっている人もいれば、自分を木と一緒に写そうとカメラを持つ手を伸ばしている人もいる。日本大通りに並ぶ豪勢なイチョウ並木とは違う、心安い魅力がこの木にはあるからではないだろうか。

icho-kaiko.jpg このイチョウが気になって、喫茶室に入ってもイチョウが見える窓際の席に座った。独立して立つ木の向こうに光がともると、クリスマスツリーを思わせる。その後も窓の外のイチョウは人気を集め、何人かのカメラに収まっていた。

 日が暮れるに従って、窓から見えるイチョウの幹はだんだんと黒くなり、シルエットへと変わった。あたりが暗くなると、それまでぼんやりとしていたイチョウのバックに、光の束となったマリンタワーが黒影のビルの間から浮かび上がってきたのである。

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2007年12月08日

春を約束するコブシの木

 舗装された歩道を歩いていたら、隣接する公園に立つ細い木が目についた。

 近づいてみても細い木だ。地上150センチのところで測ると、幹回りは66センチほど。こんな細い木がなぜ目にとまったのかというと、幹の様相がほかと異なるからである。

kobushi-wareme.JPG その幹は大きく縦に割れていて、地面近くから幹の上まで開いて中が露出している。しかもその幹の中は虫に食われて腐ってなくなってきている。白っぽい木肌に対して、中は茶色。不思議な存在感を持ってこちらを呼び止めるだけの力があった。

 このように中が空洞になって外側だけで生きているものは、大きな樹木によく見られる。木は育っていく課程で年輪を重ね太くなっていくが、外側に近い部分こそが実際に活動しているところであり、水分や養分を吸い上げている。だから樹木は、さまざまな苦難を抱え込んだとき、内側を殺してでも外側で生をつなぎ、人間から見たら無残なように見える姿になりながらも、次へと命を渡すために花を咲かせるのである。

 それにしてもこんなに細い木であるのに、どんな苦難を抱えたのだろうか。コブシの太い木を見たことがないので、あるいはこの種はゆっくりと太っていくものであり、この細さにしてかなりの年月を生きてきているのかもしれない。すぐ隣に立つコブシの木は、幹回りが40センチほどだから、比較するとこちらの木のほうが確かに太い。

kobushi-fuyume.JPG ふとこずえを見上げると、落ちてまばらになった葉の間に冬芽を見た。冬芽は次の春に開くために寒い冬のうちにつける芽で、コブシの場合は葉より花が先に咲くので、これは花芽である。現在全長1.5センチほどだが、細い産毛に包まれていて目を引く。

 北軽井沢の高原に住んでいたころ、コブシは春を確定するものだと思ったことがある。マイナス20度近くにもなる厳しい冬をこらえていると、春がたまらなく愛しく待ち遠しいものに思えてくる。実際には暦の春分あたりで太陽光の調子が変わるのを感じ始めるのだが、この段階ではまだ寒さに緊張した体を緩めることはできない。しばらく月日を待ち、ようやく体が緩められるかと感じたころに、森を貫く車道を走っていると、木々がつくる影の中にはっとするほど輝く白いものを見つける。それがコブシの花だ。

 走る車の中からでもその存在に気づくほどその花の白さは美しい。その輝きを視界の端に感じたときに、春がやってきた、と暦だけではなく気持ちの上でも確定できるのである。

 さて、ここにある小さなコブシの木。腹をえぐられても立ち続ける細い木が、この横浜の春を確定する準備をしている。その冬芽は、これからさらに寒くなる冬の日にあって、その先に春があることを約束してくれている。こちらの心に未来に対する安心感と希望を与えてくれるのである。
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2007年12月03日

緑豊かな都市、横浜

 横浜に生まれ、横浜で育ちましたが、もっと緑の多い場所に暮らしたい、と10年前に横浜を飛び出し、鎌倉、北軽井沢、徳島、と緑多き場所を求めて移り住んできました。

 そして横浜を出てちょうど10年になる今年、また横浜に戻ってきました。田舎のログハウスや古民家から都市住宅街のマンションへと移ると、緑からは遠く離れることになるのだろうと予想していました。

 ところが、意外にも高台のマンションのベランダからは、住宅街越しに緑がたくさん見えることに気づきました。歩いて数分の公園へ行ってみると、広葉樹の木々が生い茂る明るい雑木林へとつながっていて、森の中をゆったりと散策できます。そこにはしっかりと根を張り年月を越えて生きてきた樹木たちが、さまざまな表情で立っています。

 賑やかな街の通りを出てみると、大きな街路樹に出会うこともあります。ビルをバックに木の葉の色が鮮やかに浮き立っています。

 ああ、横浜は美しい。横浜はこんなにも緑豊かなんだ。そう感じられてきて、とてもうれしくなりました。そしてそんな木々たちの姿を誰かに伝えたくなりました。

 そこでこのブログでは、横浜市内に生きている樹木たちを紹介していきたいと思います。公園や街路樹、森などを実際に歩いて、そこで出会った気になる木々を写真と文章で描き出したいと考えています。
posted by 中村草文 at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | はじめに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする